バタフライ
2026.02.01

占いとか予言とか、陰謀論とかお祈りとか、そういうオカルトな類のものは一切受け付けないぼくなのですが、人生で深い悲しみに包まれた時や、自助努力ではどうにもならない事案に出くわした時、やってしまう事があります。
それが「やらなきゃなー」と思っていた事や「やればよかった」と思う事をやるんです。
その「やらなきゃなー」とか「やればよかった」という事が、解決できない事象とはまったく関係なくても、どうしてもやりたくなるんです。
北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる的なバタフライ効果じゃないですけど、小さな変化が大きな変化をもたらすんじゃないかなと期待するんです。
それは期待というよりも、やり場のない感情や後悔に苛まれた精神を安定させる為なのかもしれません。
玄関にずっと置いてあった「あけなきゃなー」と思う段ボールを開封して、玄関を綺麗にしてみたり。
リビングにずっとおいてあった「なおさないとなー」と思ってた買い物袋を開封してなおしてみたり。
美味しくなかったから飲まないのに、なぜか半分くらい残してあるワインをシンクに流してみたり。
ずっと切れていた廊下の一つの電球を新品にしてみたり。
管理会社に言わないと修繕できない、放置していた家の不具合をなおしてみたり。
全部、些細な事なんですけどね。
仮に人生で大きな後悔をしたとして、その後悔を解消できるわけもないのに、やっておけばよかったなーという後悔を一つづつ解消することで、もしかしたらその行動が、北京の蝶であり、その行動の結果、予測不能なニューヨークの嵐と言う名の奇跡につながるんじゃないかなと。
強風で倒れたコンビニの前の自転車をタクシーの中から見ながら、その自転車を起こした人に幸あれと願いながらも、見てみぬふりをして通りすぎる通行人を見て、ぼくはそっと自転車を起こすのであります。
わざわざタクシーのドアをあけて。
通行人が見落とした幸がぼくに来るんじゃいかと、淡い期待をして。
それくらい、自助努力で解決できない事案に対峙した時、小さな奇跡を起こす為に、小さな行動をしてしまうくらいしか、やり場がないのです。
ただ、これはオカルトではないのです。
行動しなければ未来は変わらないからこそ、その行動が決して事案の解消にとって直線的な行動ではなかったとしても、気になる事すべてを蔑ろにして後悔をしたくないのです。
昔少し流行った引き寄せの法則のように、駐車場に入って「近くがあいてる」と信じると、その思いに引き寄せられて、駐車場があいているみたいな事ではなくてね。
ウダウダ悩んでも仕方ないので、とにかく結果に後悔したくないからこそ、行動をしたいという事なのです。
それで引き寄せられるとかではなく、その行動が何かのきっかけになると信じているのです。
それは自分の成長の為に、後悔をしない為に、そして幸ある未来の為に。
運命の歯車を自分の力で動かしていきたいんです。
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