1月17日 part3。
2023.01.17
今回のコラムは前々回・前回の続きなので、もしよろしければ前々回から読んでください!
結局僕は、1月17日あたりに屋久島から親戚のいる横浜に疎開し、尼崎に戻ってきたのが5月くらいかな。
中3の3学期はまるまるなくて、高校へはテストなしのエスカレーター式で全員あがれちゃいました。
5月にもなると、日本ってすごいんですけど、ある程度綺麗になっていて、震災直後の悲惨さはそこまで見ることができず。(局所的にはあったのでしょうけど)
JR神戸線も六甲道あたりでたぶんぐしゃぐしゃになってましたがそれも開通してて、阪神と阪急も6月あたりには復旧していたように記憶しております。
という訳で、尼崎に住んでいながら震災を知らない少年森川くんとなってしまった訳で、ある意味とても運がいい。
ほんと、運だけで生きている気がします。
ただ、当時はニュースも大変な日々を伝えていましたし、学校の同級生が亡くなっていたりしたので、「運がいい」なんて思うようなことはありませんでしたが、今考えれば本当にラッキー。
僕が一人家にいたら、やっぱり本棚の下敷きになっていましたし、避難場所に一人で行かなければなりませんでした。
当時は携帯もなかったですし、かろうじでポケベルをもっていたくらい。
不安で不安で仕方なかったはずです、家の近所に友達もいませんでしたし。
祖父が守ってくれたんかなーって、思ってます。
僕は髪はふさふさですし、身長も184cmと高いですし、経営者なんですけど、僕の家系では超異端児なんです。
両親はそんなに背は高くないですし、顔も性格も全然似てない、性格も天邪鬼がすぎますし(笑
両親ともに一族全員はげてますし、親戚一同、どちらかというといい大学出ていい企業につとめてる感じの人ばかりで、経営者とかいないし。
神戸の甲南病院で生まれたらしいのですが、看護師さんが取り違えたんじゃないかと(笑
そんな家系の中で、祖父だけは少しシンパシーを感じる所がありまして。
祖父が好きだったかと言われると、好きというよりも偉大な感じで近寄りがたい感じだったのですが、初孫だったので直接的ではないですが、とても可愛がってくれたことを覚えております。
そんな祖父が、もちろん偶然なんでしょうけど、震災から僕を守ってくれたような気がして。
前にもスピリチュアルな記事を書きましたが、スピリチュアル嫌いな僕ですけど、不思議なことはあるもんだなと思います。
もちろん偶然なんでしょうけど、やっぱり運がいいなと。
明日も、運がよかった話を書きたいと思います。
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