1月17日 part1。
2023.01.17
忘れがちなんですけど、今日は1月17日。
1995年1月17日 5:46に発生した阪神淡路大震災から28年もたつんですね。
今でも鮮明に覚えてますね。
多くの関西人が、令和の今でも人生で一番怖かったといいうほどの地震だったのです。
僕は、尼崎のセンタープール前という、関西で一番お上品な街に住んでいたのですが、尼崎もなかなかの揺れだったみたいで。
尼崎・西宮・芦屋にしか住民票をおいたことのない、生粋の阪神間男子の僕も当たり前のように「阪神淡路大震災はやばかった」と言いたいところなのですが、僕は常にマイノリティ。
コロコロ開始の令和2年以来、ほぼほぼマスマスをしたことがないくらいマイノリティ(w
ここでマスマスの話をしてくるあたり、一周回って、コロコロが大好きなのかもしれません(w
そして、阪神大震災もマイノリティ。
ずっと関西に住んでるのに、阪神大震災の前後だけ鹿児島の南にある屋久島という所にいて、まったくもって震災を知らないマイノリティなんです。
今でこそ屋久島って世界遺産にもなったし、千と千尋の神隠しでしたっけ、そんなアニメのモデルにもなってるから、相当有名なんですけど、うちの祖父はなぜかマンションを売って退職金をはたいて40年近く前に屋久島に移住したんです。
だから、僕はチビの時、屋久島にいきまくり。
春夏冬、休みのたびに屋久島に長期滞在。
幼稚園から小学校低学年の森川少年にとっては、かなりの地獄。
なぜなら、今の僕はアウトドアとか大好きですけど、その頃は海に入るのも嫌、山も嫌、虫も嫌、魚も嫌な超インドア族。
その当時、島に信号が3つとかしかなかった屋久島なんて地獄も地獄。
でもそんな祖父が、震災の年の1995年の正月に帰省した時、初めて涙を流して僕を見送ったんです。確か1月3日とかかな。
また今度記事にしますけど、うちの祖父は相当な変わりもんで。
米を食ったから米軍に負けたんだと、たんぱく質至上主義(w
今となっては正解ですよね。
小学校低学年の森川少年に、銀行マンだった祖父は「このバブルは必ず弾けるのだ」と詳しく解説するありさま。
そんな祖父が17日の震災の数日前に他界したんです。
1月3日の涙は、死を悟った涙だったんです。
だから、12日くらいから屋久島に行ってたんです。
13日がお通夜で14日がお葬式だったかな。
当時は1月15日が成人の日で祝日だったんです、今みたいな変動ではなく固定で。
で、確か1月15日が日曜日で16日が振替休日だったんです。
中学生の僕は、1月17日から授業。
だから、1月16日の飛行機で、両親を残して僕だけ帰阪する予定だったんです。
でも、いつも席があいている64人乗りの国産YS11型機がなんと満席。
三連休の最終だったからかな。
だから、1月16日に帰阪できなかったんです。
文字数オーバーなので、次へ続く。
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