さかもりの焼鳥日記

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せんぷー

2023.07.21

せんぷー

昨日のコラムの最後の方に「僕の入った中学校がキラキラしたボンボンたちの集まりで」という事を書いたと思うのですが、今日はそのキラキラ話を。

キラキラ話の前に、僕のキラキラしてない小学校時代の話を。

別に中学以降も回りがキラキラしているだけで、僕はキラキラしていないけど。

うちの家は貧乏ではないですけど、共働きでやっと生活できるような家庭。

家は阪神の尼崎センタープール前。

あの当時「え、せんぷー?」と誰もが眉を顰めていた街(w

今でこそ街並みこそ綺麗になっているそうですが、当時は本当にひどかった。

その名の通り駅前に競艇場があるんです、尼崎ボートレース。

なので、ボートレース開催日は大量のおっさんとおばはんが押し寄せるわけです。

どの人を見ても、茶色やカーキのくすんだ色の服装をして、殺気だった目で(w

少年時代の臭いで思い出すものといえば、おっさんと焼鳥とワンカップとションベンの臭い。

あちこちでおっさんが寝てますし、浮浪者だらけ。

通学路は長屋の間の私道みたいな所を通るのですが、常に下水の悪臭と洗剤のキラキラした水が流れるドブ、猫のおしっこの強烈な臭いに、あちこちに落ちてる犬のうんこ。

毎日、同じことをぶつぶつ言い続ける歯のないおっさん。

毎日、裸でなぜか身体をタオルでごしごししてるおばあちゃん。

道路の真ん中にある不気味な音のする井戸。

僕が行ってた散髪屋は、売春宿、俗に言うチョンノマという「かんなみ新地」という所を通っていくのですが、夕方になれば艶かしいピンクの光に照らされた女子が、こっちへおいで、こっちへおいでってやってるんです。

そして、まわりはヤーさんの事務所だらけ。

小学校の頃、電話連絡網ってありましたけど、そもそも固定電話を引いていない家庭がポツポツあり電話連絡網が成立しない。

僕の後の女子は固定電話がなかったので、何かあればその子の家まで連絡しに行かないといけないという、江戸時代の飛脚もびっくりの所業(w

市営住宅の4Fにある友人の家を訪ねたら、夏なのに冷房もなく、ムーッとした中で、お母さんなんだろうけど、どう見てもおばあさん的フォルムの前歯が全部ない系女子が、何かが真っ黒にこびりついた年季の入った鍋で何かをあげてるんです。

「食べやー、これ」と出てきたのはパンの耳をあげて砂糖をまぶしたもの、ニヤーっと前歯のない笑顔で。

炭水化物+糖質+脂質という、今では考えられないウルトラパッケージ(w

使い古されたサラダ油で揚げているので、そのフォルムはまるでかりんとう、もとい猫のうんこ。

友人とそれを美味しく食べてましたよ、ありがたく。

外食なんてほとんどしたことはない。

焼鳥の大吉がもっとも豪華なレストランでしたし、吉野家を初めて食べた時、歓喜しました。

そんな少年時代を過ごしていたのです。

治安も最悪、どの学校も荒れに荒れていました。

だから、僕は脱出したかったのです、この街を。

ここにいたら、ダメになるという、子供ながらに強烈な恐怖を感じたんです。

今考えると、そんなこともないんですけどね、たぶん、世間体的にそういうときます(笑

そこで、決して裕福ではない家庭にもかかわらず、中学受験を懇願しました。

長くなったので、明日に続きます。

写真は本町の4時からあいてる系イタリアンで呑んだ、なんだっけかな、サンジョベーゼだったかな。

ピノノワール好きな僕としては、この赤の濃さがタンニンの限界値でした(w

小学校の頃、こんなワインばかり呑んでいる大人になるとは、1ミリバールも思ってませんでした。

ミリバール知ってる人、世代ですね(w



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