複雑なニュートラル
2023.07.27
知人の鶴田真由系女子が「ニュートラルと複雑の違い」という哲学的で僕の頭の体操的に大好物なエントリーをスレッズに投稿してたんですね。
彼女いわく、ニュートラルは凡庸で、複雑はオール5という評価。
要は、ニュートラルは未熟で、複雑は完熟みたいな。
つまり、鶴田女子いわく、オールジャンルに平均点をはるかに超えることができるのが複雑で、オールジャンルのどれもが凡庸なのがニュートラルで、と。
ニュートラルも複雑もどちらも、大きくまとまってるか小さくまとまってるかだけの違いで、レーダーチャート(五角形のやつ)にすると数値は違えど同じ形。
オール1がニュートラルでオール5が複雑とすると、オール1な自分が努力して結果を出した未来がオール5の複雑であるかもしれないですし。
何だかよくわからない話になってきているようですが、僕もすごく理解できるんです。
つまり、鶴田女子もとい鶴田女史が提唱しているのはすごく本質をついたことで「パンピーはニュートラルからの経験値を積んで、複雑にならなきゃいけないんだよ。なぜなら、パンピーはスペシャリストではないから」ってことが読み解けるのです。
また新しい言葉が出てきました、スペシャリスト。
スペシャリストってなかなかなれないんです。
ある特定の分野に特化して能力を発揮する、それがスペシャリスト。
でも、スペシャリストって人口比率的には相当少ないはずなんです。
だからこそ、聡明な鶴田女史は、スペシャリストという選択肢を排除して、ニュートラルか複雑かの2択にしたのです。
なぜなら、ニュートラルで凡庸な僕たちも、努力次第では複雑になれるから。でも、ニュートラルで凡庸な僕たちは、スペシャリストにはなかなかなれない。
ふーむ。
でも、実は、そんなニュートラル提唱系女子の彼女ですが、彼女は素晴らしい分野のスペシャリストであり、ニュートラルとは別の突き抜けた分野があるのです。
つまり鶴田女史はスペシャリストであって、我々のような凡庸なニュートラル系人間のところにおりてくる必要はないのです。
でも、スペシャリストとしての自分は、自分の軸では当たり前であって、自分の当たり前は自分にとっては凡庸であって、だからこそ自分のスペシャリストな部分は凡庸な自己評価であるからこそ、自分自身はニュートラルであると。
凡人へのアンチテーゼですね(笑
何だか、鶴田女史が嫌な女な気がしてきました(嘘
ちょっと長くなったので、続きは明日。
こんな小難しいテーマーを誰が読んでくれるのかという不安しかないですが、ちょっと酔ってるのでこのあたりで締めたいと思います(w
ロゼシャンパーニュを呑みながら考えるネタではないと思うのですが、こういう頭の体操が好きだったりします。
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