人生最良の
2023.11.24
褒められるのが苦手なんです。
褒められるって事が恥ずかしいんです。
もっと言うと、褒められることイコール未熟やと思ってしまうんです。
自己肯定感が低いとかそういうことじゃないんです。
自己肯定感がないんです。
生き方としはウルトラポジティブなんですけど、自分の事はゴミカスやとしか思えないんです。
傲慢な言い方に聞こえるかもしれませんが、ずっと褒められてきた人生なんですね、僕。
ガキの頃からなんでもそれなりにできたし、家は金持ちではなかったけど。
若い頃から、世間様よりは稼いでたし。
でもそれは、若い時から自分でビジネスをやってたからそう言われるだけであって、齢を重ねるごとに自分よりすごいやつなんてドンドン出てくるのであって。
若かったからこそ褒められただけであって、30になり40を超えたらただ人であって。
それが若い頃からわかってたから、ずっと苦痛で恥ずかしくて。
褒められるたびに、自分はまだまだや、まだまだや。
自分は未熟や、としか思えないんです。
自分の事は経営者というよりクリエイターやと思ってるんですけど、僕が生み出したものは、生み出した瞬間、僕にとっては恥ずかしいものに変わっていっちゃうんです。
納品した時点では最高だと思う作品も、翌日見たら修正したくなるんです。
例えばこのコラムもそう。
アップした瞬間から、もう恥ずかしい存在になるんです。
褒められるってことは、僕のやった事が世に出た後じゃないてすか。
でも、時間軸的に褒められてる時は、世に出てるわけですから、僕にとっては恥ずかしいターンになってる訳であって。
だから、褒められる=恥ずかしいであるんです。
でも、決してネガティブではないんです。
一つのタスクや作品ができた時点では、納得はしてるけども、その後、時間軸が進むごとに、恥ずかしいって思うってことは、今ならその納得した時点よりももっといいモノが出来るって自信があるから、恥ずかしいのであって。
つまり、それは成長であって。
きっと、成長であって。
死を迎えるその瞬間、ベッドの上で天を見つめ。
もしかしたら、僕を愛してくれる人たちがそばにいて。
手を握り、涙を流し。
人生が終わるその瞬間にだけ、最高に幸せな気分をなれると思うんです。
だって、その後がないから、振り返れないから。
人生の最後が人生のピークになるように生きたい。
なーんてね。
なーんてね(笑
なんかさ、輪廻転生とかオカルト系の話しをよく聞くので、アンチテーゼ的に書いてみました。
人生は終わりがあるからこそ、必死になれるのであって。
来世があるとわかると、今世はオワコンでいいやとか思っちゃうじゃないですか。
今日が人生最高の日ってのを、毎日更新したいじゃないですか。
ベストな選択ってのはあんまりなくて、モアベターな選択を繰り返して、その選択に対して最善の努力をしていくしか、最良の人生のカタチなんかないと思っているわけで。
まぁ、こんなコラムを、一人寂しく書いている僕の今日を、誰か褒めてくれますか?(笑
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