あんまり覚えてないや
2023.12.07
昔は、目覚めると、その欲望が渇望に変わっていて。
違う物体と一体化してしまったその腕を、自分に取り戻すようにそっと抜き、ドクドクという血流を感じながら一目散へリビングへ行き、マルボロに火をつけ、空っぽの冷蔵庫からアイスコーヒーを無造作に取り出し、煙とともにそれを流し込む。
前日の焼酎ロックからくる気怠さを武器にしながら、さっき消したばかりなのに、また無造作に赤い箱に指を伸ばし、口に加え火をつける始末。
人間の感覚としては吸いたくないのに、自我がそうさせた結果、その臭いと気持ち悪さに辟易としてシャワールームに助けを求めるような、人からみたら不健康な生活をしていた人も。
時間の経過は残酷で。
目覚めたら白湯を飲んでから40分有酸素運動をし、自家製の糠漬けとお味噌汁を飲んでから1日が始まる、それが健康的な生活なんだなんて言い出す始末。
昔は誰でもいいから、群れて酒をかっくらっていたのに。
今となっては、ワインセラーが時折り奏でるブーンという音と、ある種の妥協しかない静寂と無機質な我が家に一人鎮座し。
酔ってる時に読めば、その内容なんて明日になれば忘れるであろう推理小説を、読んでいるのか、はたまた眺めているのか、そんな人生にとって有意義とも思えないけど、有意義と思いたい夜にシャンパーニュを空にし。
ワインがあれば何もいらないとか言いながら、つまみも無しに飲んでいたあの頃を恥じるように、素敵なワインラバー系女子にもらった「ワインにあうクッキー」をちびちびかじりながらブルゴーニュを飲む夜も。
人は誰かに影響を受けて、誰かに影響を与えるのであって。
人というものは、他人から影響を与えられ、そして自分も他人に影響を与える事によってアイデンティティを確立する生き物であって。
他人に染まらないのがかっこいいという考えもあるが、この成熟社会においてオンリーワンってのはなかなかないのであって、先人たちが作り上げたアイディアや技術の組み合わせにすぎないものを、その組み合わせを発見することこそが、オンリーワンの称号でであって、決してオリジナリティではなくて。
時間軸というものはバイアスを作るのであって、人生100年しかないからそれが成立するのであって。
もしかしたら人生100年しかないから、自分の価値観以外の考えや意見が受け入れられないのであって、時間軸が寿命1万年であれば、寿命が100年の時はまったく見向きもしなかったアイディアも、100年の100倍の時間軸があれば、そこに興味を持てるのかもしれないのであって。
なぜなら、それは時間が長いから。
つまり、それは暇だから。
暇だから眉唾でも考察してもようという価値観が現れるのであって。
そう、とんでもない独裁者がある日我が国に君臨したとしても、しょせん寿命1万年計算からすると、その時間軸はわずかなのであって。
それが寿命100年の中で起きるから大事件なのであって。
でも、寿命が10000年としたら、それはただの誤差であって。
残念ながれ我々は、その短い時間軸に生きてしまったからこそ、競争があるのであって。
でも、大きな時間の流れから見れば、我々の争いなど誤差であって。
大きい時間軸の中では、誤差の中の誤差であって。
だからこそ、言えると思うんですよ。
だからこそ、恥ずかしくないんですよ。
失敗しても、嫌われても。
とんだ誤算があったとしても、それはすごく小さな事であって。
だからこそ、失敗を恐れる必要などなくて。
失敗なんて自分以外の誰も覚えていないのであって。
こんな恥ずかしいコラムを書いてしまったとしても、それはとてもとても小さな、ミクロンな誤差であって。
なぜなら、このコラムを書いたのを覚えていないからであって。
酔った時の執筆活動はとても危険という教訓とともに。
結論のでないコラムをしめたいと思います(w
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