メメント・モリ
2024.03.09
死だけはすべての人間に平等である。
鳥山明氏ほどの名誉や名声・資産を手に入れたとしても、亡くなってしまえばそれは無であり、それは無である。
我々は生を受けた瞬間から、残念ながら死への旅路を歩んでいるという宿命を背負わされています。
それは残念なのか、それともゴールがあるからこそ精一杯生きれるのか。
その答えは、もう少し齢老いないとわからないのかもしれない。
でも、誰もが逃れられない死があるからこそ、過去も今も権力者たちは不老不死を求める。
宗教というものは死がなければ存在しないと僕は思っていて、死後の世界を誰も知らないからこそ、宗教を信じる事で極楽浄土へ行けたり、輪廻転生できると信じたいのです。
そう、信じたいんです。
死後の世界なんて誰も見た事がないのに、死後の世界があたかもあるかのように語るのは本来詐欺的で。
でも、死という誰もが死ぬまで経験することがなく、そして逃れられない宿命を背負っている以上、死自体が恐怖であり、その死への恐怖を和らげて、豊かな人生を歩むために宗教が存在していると考えればそれは詐欺的ではく、むしろ心を豊かにさせてくれる素晴らしい存在になるのであり。
ただ僕は宗教的なものは信じてはおらず、輪廻転生も信じてはおらず、天国もあの世も、幽体離脱もないと思っており、死ねば無になると思っているからこそ、最高の今を生きたいのです。
来世があると信じていたら、今世がオワコンだったら自殺を選んでしまう人が出ると思うんです。
実際に自殺した人の中にはきっと来世では良い人生をと考えて死を選んだ人も多いと僕は思うんです。
コラムを読んで頂いている方はご存知かと思うのですが、僕はボレロが大好きでして、ボレロのような人生を歩みたいんです。
ボレロのように右肩上がりの人生を。
スネアドラムとフルートから静かに始まる旋律。
物語が進むにつれ、増えていく楽器。
15分間の音色は麻薬のように美しく、麻薬のように高揚させ、麻薬のような依存があり。
演奏から14分を超えたあたりにその旋律は最高潮を迎え。
フルートとピッコロ、ヴァイオリオンとサクソフォーンに加え、トロンボーン、トランペット、サックス、ピッコロが音を奏で。
シンバルと大太鼓の音色が響いたら、その先にあるのは絶頂であり、その絶頂の向こう側は死なのです。
そう、ボレロという一つの物語、それは人生であり、その人生の終焉であり、終演なのです。
スタンディングオベーション前の、ほんの一瞬にある。
圧倒的であり、永遠でもある静寂。
それが死であり、すべての人間に与えられた宿命なのです。
今日よりも明日、明日よりも明後日。
死について考えれば考えるほど、ボレロのように右肩上がりの人生を歩みたいと思うのです。
こういうコラムを書くと「病んでいるんですか?」ってDMくるのですが、全然病んでません。
死を考えるからこそ、今を精一杯生きれるのだと思っているだけなのです。
そんな事を考えながら、日本の旅路というスパークリングワインを呑んでおりました。
右肩上がりの旅路を願って。
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