追憶の誕生日①
2024.04.25
もうすぐ誕生日だね、何か美味しいものでも食べる?
仲良し系女子にそんな事を言われたんですけど、天邪鬼な僕は言います。
誕生日なんて嬉しいと思った事ないな、別に普通の日。
え、もうそんな感じぃ?
40過ぎたらそんなもん?
と女子は言います。
誕生日なんて人生で一度も楽しいと思った事なんてない、と。
誕生日はどこか寂しい日だったんだ、と僕はいうと、女子は眉をひそめます。
いきなり切ないモードの書き出しですが、僕は本当に誕生日とか自分が祝福されたり、何かをやってもらったりするのが至極苦手。
フラッシュモブなんて最悪ですね、一生顔が引きつってると思います。
人に何かをやってあげるのは大好きなのですが、やってもらうのは本当に苦手。
自分の誕生日パーティを自分で盛大にやるとか、僕の辞書には絶対にない行為です。
でね、今朝、「誕生日なんて楽しいと思った事はない」って自分で言った後に、僕はいつからこんなひねくれた人間になってしまったんだろう、と思考をめぐらせいたんです。
普通は祝ってもらったら嬉しいよな、なんで僕は忌み嫌うんだろうと。
すると、やっぱり幼少期の痛い記憶が蘇るんですよね。
おそらく母の影響。
うちの母親もこのコラムを読んでいるので、あんまり悪く書きたくはないのですが、うちの母は相当かわってまして、もちろんAB型。
AB型女子ってのはなかなかでして、もうスーパー取説が難しい。
僕はAB型女子に育てられたので、ある程度は心得ていますが、それでも宇宙人すぎて理解できない事は今でも多々あります。
血液型占いとか血液型診断なんてものは、まったく信じていませんが、AB型の女子だけは全員ぶっとんでいます、これは間違いありません。
はっきりいいます、間違いありません(w
そんな母も70を超え、今となっては、ほんの、ほんの少し角は取れていますが、本質は全く変わっていませんが、コラムのネタにすると「私はそんな事していない、オーバーに書き過ぎ」と言われるのですが、当時の僕視点で書きたいと思います。
今でいう潔癖症気味の母は、とにもかくにも家に僕が友達を呼ぶのを忌み嫌ったんですね。
僕だけじゃないな、自分がOKだと思った他人以外を家に入れるのをとことん嫌がるんです。
だって汚いから(w
小学2年生の時、父とある賭けをしまして、当時大人気だったファミコンとマリオを買ってもらったんです。
2mのパットを16発連続で入れるという困難なミッションに達成しまして(w
しかも1回限りのチャレンジで(w
ファミコンとか当時でも持っている家庭は少なかったんです、だから自慢するじゃないですうか。
嬉しいじゃないですか。
だから初めて買ってもらったファミコンを家でしていたんです、友達と。
思えばそれが、僕が勝手に友達を家に入れた日だったと思う。
共働き家庭だったので、母は夕方に帰宅します。
すると、乱雑に玄関に脱ぎ捨てられた僕以外の靴を見て、彼女は言うのです。
コースケ、ちょっとおいで、と。
普通の家だったら、オレンジジュース買ってくるわ、だの、お菓子出すわだのを期待するじゃないですか。
でも、森川家は一味も二味も違います。
エキセントリックな母の口から出た言葉は
なんであの子が家にいるの?
誰がOKしたの?
汚いのは嫌いって知ってるでしょ?
不潔だからすぐに帰ってもらって
もう衝撃(w
まじで衝撃(w
そして、友達を帰した後、こっぴどく叱られるわけです、森川少年は。
これで森川少年はもう自宅に友達を呼ぶ事ができなくなり。
まぁ、もともと小学校2年制から、週休は0だったんです。
英語、国語、算数、書道、ピアノ、野球、野球と週7お稽古ごと。
友達と遊んだ記憶なんてほとんどありませんし、そうなると、友達もあんまりできない。
友達はできないわ、友達を家には呼べないわ。
悪循環は続きます。
思わぬ大作になってしまった(w
文字数制限があるので、続きは明日へ。
写真はいつものワインバーで呑んだシャンボールミュジニー。
もう大人なので、男友達は相変わらずあんまりおりませんが、ワインを共にしてくれる女子がいれば、問題ありません(笑
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