追憶の誕生日②
2024.04.27
今日のコラムは前回の続き、できれば前回ら読んでほしい。
そんな週休0で友達のいない小学生時代を過ごしていた僕ですが、話を誕生日に戻します。
僕の子供時代でも、すべての家庭とはいいませんが、何人かに一人は誕生日パーティなるものを自宅で開催し、友人を招く人もいるわけです。
規模は違えど、僕からしたら花輪くんですね。
友達の少ない僕は、そんなものには滅多に招かれるわけではないのですが、ある日同じマンションのそんなに仲良くない同級生男子の誕生日会に招かれたんです。
その誕生日会が衝撃で。
なんと、その会場が忘れもしない。
国鉄が民営化されて間もない、鳩のフンとガラの悪い高校生しかいないJR立花駅前のマクドナルド。
マクドナルドですよマクドナルド。
マクドナルドなんて僕からしたらウルトラ非日常。
前回コラムでも書きましたけど、森川少年の家は相当変わってまして、スナック菓子とかマクドとかはもちろんダメ。
3時のおやつなんて柿の種かおせんべいだし。
7時のテレビといえばNHKニュースか野球中継。
小学5年生の時に初めて食べた吉野家の牛丼に涙するレベル(w
さかもり本通り店の焼き師の大ちゃんが同じ歳なんですけど、大ちゃんと昔話に全然花が咲かないんです。
だって、ダウンタウンのごっついい感じなんて見た事ないし、北斗の拳も知らない、シティハンターもわからなければ、ジョジョってなに?って感じ(w
大ちゃん曰く「狂人の原点は小学校時代ですね」と(w
そもそもうちの祖父が相当変わった人でして、戦争に行ってた系国士なんですけど、口癖がね「日本人は米を食ってたから戦争に負けたんや、肉を食え、肉を」でして。
僕と付き合いがある人はご存知かと思うのですが、僕も白米って全然食べないんです。
ゴルフ場の昼食で出てきても、ちょっと食べるくらい。
それはおそらく祖父の影響でして、祖父の家には常に小さい炊飯ジャーが2つあって、なんなんだろなー、今考えると雑穀米と黒米なのかなー、なんか2種類の米を1つの茶碗によそわれるんです。
エルサレムに洗礼に行くほどのゴリゴリのキリスト教だった祖父は、食事の時も常にワイン。
バカラのグラスに、おそらくボルドーのワインを入れて呑んでましたね。
ボトルが怒り肩だったと思うのでたぶんボルドーワイン。
1980年代なのに家でボルドーワイン(w
僕もしょっちゅう飲まされてました、小学生低学年なのに。
祖父いわく「キリストの血だから、これは酒ではない」と。
僕のワイン好きは小学生の頃から醸造されていたのかもしれません。
ボルドータイプのワインは呑まないのですがね。
でも、今思えば、赤ワインはセラーじゃなく、部屋に常温保管してたから、ぬるかったな。
昔は赤ワインは常温のイメージだったんだけど、それは寒い国の常温なんだよねたぶん。
あかん、また長くなってしまった。
今回のコラムのコンセプトは、誕生日を祝われるのが苦手だった。
また、続きは明日書きます。
写真は今期最後のモンドール。
家で独り占めしました。
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