願えば叶う
2025.01.01
新年あけましておめでとうございます。
本年も炭火焼鳥さかもり並びに弊社全事業をよろしくお願いいたします。
紅白をみて、おせち食べて酒のんで、だらだら寝て、初詣に行って、格付け見ながらキャッキャキャッキャいう、そんな普通の正月を過ごしているのですが、そんななんてことのない正月を過ごす事が幸せでありまして。
そんな中、ダラダラした正月なのにぼくのコラムを見に来てくださる変わった方は、そんな普通なコラムは期待していないと思いますが、正月に面白い出来事なんて起こる訳がないのでありまして。
でも、正月だからこそ普通のコラムを書きたくないという思考は働くので、とりあえず精神論的なコラムを書いてみたいと思います(w
新年になるとやっぱり、願うとか、叶えるとかそういうワードがよく出てくると思うのですが、昔から「引き寄せの法則」と呼ばれるものがありまして。
そら空いてれば願いが叶ってますし、あいてなければ願いが足らないと思う訳であって、結果どっちでもよい(笑
そういう類の事柄にはまったく興味のないぼくではありますが、20年くらい前に「ザ・シークレット」なる本とかビデオが流行ったんですよね。
簡単に言うと、願えば叶うってやつです。
スーパーの駐車場に車を停める時に「入口近くに空きが一台ある、絶対ある」と願い続ければ、それが実現するみたいなやつでして。
アホちゃうかって内容なんですけど、こういう類のものを人は好きなんですよね。
願掛けとか神頼みとかも「願えば叶う」という考え方の延長でしょうし、宗教も考え方によってはこれに似ている。
成功した人が「成功するイメージを具体的にもっていたから実現できた」なんて事を言うもんだから、世の中は「やっぱり願い続けたから成功したんだ」なんて言います。
でもね、これはただの履き違えだと思うんです。
願えば成功できたわけではなく、成功できた人の中には、成功をイメージしてそれに向けて必死に努力を重ねる行動をとって、たまたま運がよく成功したから「成功するイメージを具体的にもっていたから実現できた」わけであります。
でもね、成功なんてものは後付けなので、成功した後で美談になれば人は何でも言いますし、「たまたま成功したんじゃない、運じゃなく俺の実力だ」と思いたい脳のバイアスが「成功するイメージを具体的にもっていたから実現できた」という思考にもっていくのであります。
だって、成功者ってのは強欲ですから、運だけで成功したって思われたくないじゃないですか。
でも、成功ってかなりの確率で運だし、そもそもイメージ通り成功する事なんてないと思うんですよね。
そもそも最初に計画した通りに物事がすすむなんて事はないでしょうし、試行錯誤を重ねるうちに、最初に計画したプランとは全然違うけれども、結果的に運と努力によって成功するわけでありまして。
大谷翔平さんだって、高校を卒業していきなり大リーグに進む事をイメージしていたけれども、結局栗山監督のススメにより日ハムに入って、そして結果的にメジャーで大成功した訳でありまして。
そら大谷翔平さんは小学校か中学校か忘れましたが、30歳で大リーグでMBPをとるみたいな(うろ覚えです)的な事を書いているので、そのイメージを持っていたから今の大谷翔平さんがあるという考えはあると思いますが、卒業文集でビッグマウスをしているヤツなんて世の中に五万といるわけでありまして。
親の事業を引き継いだのに「自分で立ち上げた」なんて嘘をつく人なんて多々いますしね。
ぼくを含めて人は誰しも、かっこつけたい生き物なのであります。
正月早々に身も蓋も無い話を書いているようですが、結局のところ、目の前の事象を受け入れて、深く考えずに淡々と生きていくしか、幸せってないんじゃないかなと思うんです。
成功するのもやっぱり運だし、自分の思い描く形とは違う姿になったとしてもそれを悲観しても仕方ないし、でもやっぱりたゆまぬ努力は必要だし。
たまに宝くじに当たるという、たゆまぬ努力をしない形に成功もあるけど、宝くじを買いに行くと言う行動を努力というならそれはたゆまぬ努力でありますしね。
つまり、人生とは諸行無常でありまして、成功をイメージしてもその通りにはいかないし、でもイメージしない成功もありますし。
思わぬ壁が立ち塞がることもありますし、信じられないラッキーが起こることもある。
なので、肩肘はらずに、テキトーに生きていくのが幸せなんじゃないかと思うのであります。
ただ、ぼくは成功するよりも願えば叶う思考をもつよりも、大事にしている事が一つだけあります。
それは、思いやりであります。
物事の思考、ビジネスの思考、人付きあいなどすべて根底に思いやりという4文字をもてば、ぼくはそんなに不幸な人生にはならないと思っているんですよね。
願うより思いやる、今年ももっとそんな風に生きれたら、ぼくの周りを少しだけ幸せにできて、ぼくも少しだけ今より幸せになれるんじゃないかと、そんな情緒的な感じで新年のコラムを終えさせて頂きたいと思います。
思いやりこそ人生。
2025年もよろしくお願いします。
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