若気の至りなんて人は言う!
2026.04.05

こないだ、さかもりを卒業していく大学生や就職組たちの送別バーベキューがあったらしいんですよね。
ぼくも誘われたんですけど、「若い子だけでやってきー」とお金だけ渡して参加はしなかった、もとい博多出張だったからもともといけなかったから、カッコつけて言うたんですけどね(w
うちの重鎮女子スタッフでIちゃんってのがいるんですけど、そいつがめちゃくが気が利くやつで、その卒業するスタッフたちに、焼き鳥風の台紙を作って寄せ書きを書いてたんです。
わざわざ、みんなに集ってね、えらいよね。
Iちゃんから「BOSSも何かお願いします」と言われて、その後に追いLINEで「格言的なのお願いします」って言われまして(w
そういうの嫌いじゃないんで、秒で思いついた格言というか、秒でIちゃんに送ったLINEで卒業組に送った言葉が。
「若気の至りこそ人生」
若気の至って言葉は、google様に聞くと
——
「若気の至り」とは、若さゆえの血気盛んさや経験不足から、思慮分別を欠いた行動や失敗をしてしまうこと。過去の過ちを振り返る際や、他人の青臭い失敗を温かく許容する際に使われる慣用句で、主に20代〜30代前半頃までの未熟な行動に対して用いられることが多い。
——
だそうで、だそうで。
でもね、ぼくは若気の至りの精神って、それころティーンエイジャーとか30代までの人だけに与えられた言葉なのはずるいと思うんです。
30過ぎたら大人にならなあかんのか、30過ぎても血気盛んで経験不足じゃあかんのかと。
30過ぎても思慮分別を欠いた行動や失敗をしたらあかんのかと。
あかんくないと思うんです。
40も半ばを過ぎ、社会的には成熟した大人と呼ばれる年代であるぼくですが、ぜんぜん血気盛んやし、ぜんぜん経験不足やし、思慮分別なんて糞食らえなわけです。
成熟して、血気盛んじゃなく、経験だけを頼りに、思慮分別する大人になんかなりたくない訳です。
そんな、大人になんかなりたくないし、そんな大人になんてなれないし、そもそも大人ってのは中学生になって正規料金をJRで払うための言葉だと思ってるわけで。
経験が豊富だから優れた判断なんてできないし、思慮分別を欠いているからこそ、思いきいった成功をつかめるかもしれないし。
これってぼくの嫌いなスポーツマンシップに則りと同じだと思うんですよね。
コラムで何度となく書いていますが、スポーツマンシップなんてもんに従ったら、強い者が勝つだけな訳ですよ。
それは本質的に金持ちが金持ちとして居続ける為の言葉なのに、それを高校野球なんかでいうもんだから美談になる。
勝つ為にはルールの中では、いやルールにちょっと外れても、塀に落ちない程度のギリギリを責めないと弱小高は甲子園常連校には勝てない訳で。
成功者の成功本は心地よいように、強いやつがスポーツマンシップに則りなんていうと、心地よいんですよ。
でも、それを聞いてウンウンうなづいている人たちは、どちらサイドなんでしょうかね。
若気の至りこそ人生、死ぬまで若気の至りしまくって、「あのじーちゃん無茶苦茶やったな」って人生を歩んで欲しいなと、そして自分も歩みたいなと、その言葉を卒業の色紙に書いてみました。
なんて、めちゃくちゃコラム的にかっこいいい、いや青臭い事を言うてますが、今回のコラムで何が言いたいかというと、さかもりで何年にも渡って献身的にかつ、さかもりの大切な事を理解して働いてくれた卒業組と、それを自分の中でできる最大限の行動で見送ってくれた、重鎮女子スタッフIちゃんへの感謝を、言いたいだけのコラムだったりするんすよね。
素直に言えないですよ、若気の至りなんです。
後期40代の至りなんです。
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